大倉冨美雄氏講演

建築家であり工業デザイナーの大倉氏の講演の進行をしました。日本建築家協会の機関誌ブルチンからの依頼され原稿を書きました。参加した学生のコメントも付加しました
【垣根のないデザインを再考する】
大倉冨美雄氏講演、デザイン力デザイン心
                                                      デザイン部会 連健夫
デザイン部会主催で、年度末の3/31、建築家で工業デザイナーである大倉冨美雄氏の講演が60名を越す参加者の中で行われた。会場であるJIA館1階の建築家クラブには大倉氏がデザインした椅子が並べられた。講演のタイトルは「デザイン力デザイン心」、これは氏の著書から掲げたものであるが、著書と同様、深みがあり面白い講演となった。氏は建築に興味があったが、数学が出来ないと建築家にはなれないと思い込み東京藝術大学の工芸科で学んだ。卒業後は日本コロムビアで電気製品のデザインを担当した。そこで企業内デザイナーの匿名性の現実や自己表現の限界を感じ、米国に渡る。そこで500ドルを盗まれたことやポートフォリオが無いばかりに仕事を得るのに四苦八苦した経験などから、米国は氏にとってネガティブとなった。その後イタリアに渡り、10年間、工業デザイナーとして、更には建築家として腕を振るうことになる。「イタリア人は国を信じておらず、個人を信じている」、「個人にデザインの良し悪しを判断する力がある」のコメントに力が入る。この意識、風土の中で、彼のポートフォリオが認められ、高給で仕事を取ることができた。氏にとってイタリアはポジティブなのである。興味深いのは、イタリアでは建築と工業デザインが分離しておらず、建築家は建築の設計のみならずプロダクトデザインも扱うのが当たり前ということである。そこにはまったく垣根がない。アンジェロ・マンジェロッティから彼は2つのことを学んだ。ひとつは「モダンデザインでありながら感性豊かな造形表現が可能」ということ、もうひとつは「建築から家具、工業デザインまで分野を区切らずに仕事をしてもよい」ということだった。この2点が氏の人生形成に決定的な影響を与えた。あきらめていた建築への想いが再燃し建築家として生きることに人生のハンドルを切った。日本に帰国した後、氏は日本インダストリアル協会の理事長を務めた。その中で工業デザイナーの地位向上に努力し、「デザインと著作権」「IT革命とデザイン新世紀」などの機関誌を特集する。しかし大企業中心主義の壁は厚く、フリーランスデザイナーが個人として評価されない日本の実態に苦慮する。静岡文化芸術大学教授として教育に関わる中で、実務経験の無い教師やデザイン教育に馴染みの浅い事務方に問題意識を持った。これは何もこの大学だけのことではなかろう。論文偏重の教育環境はクリエイティブな教育の場と馴染みにくい。氏の垣根を越えたデザイナー魂から多くの作品が生み出された。カルテル社のプラスチック椅子、イノーバーチェア、樹脂製ベンチ・オンダなどの家具、東芝ワードプロセッサなどの電気製品のみならず、サイン計画やユニホームのデザインなど多彩なデザインが紹介された。建築では赤坂NASビルや青蘭学八ヶ岳青蘭寮など個性豊かな作品が紹介された。参加者からの質問、「建築士制度や基準法の改定が生んだ混迷の中で、建築家への夢が見出せない状況」について、氏の「新しい職種を創る事が大切」というコメントは重い。垣根を越えた新しい職種が新しい市場を創造するのである。「デザインとは何か」の根本的な問いに対し、著書の中で「デザインとは諸要素(経営的、技術的、審美的要素)という、ほとんど互いに無関係な構成要素をモノや空間で時間の中に配列、構成すること」と述べている。アリストテレスの言葉を思い出した。「建築とは諸要素を探求し統合することである」。ここには建物を設計するという言葉は一言も無い。垣根を無いデザインの意味、更には建築の意味そのものを再考させられる中味の濃い講演会となった。
 講演の後、今年度のデザイン部会長を大倉氏に委ねることが拍手で承認された。面白いデザイン部会が期待できそうである。





「日本社会はシステムの行き止まり」大倉氏のこの言葉が何より印象的でした。ケニアで育った私にとって、日本の合理性、機能性、消費社会が子供達から生気と創造性を奪っているように感じました。「デザインとは何か」の問いに私は「モノが人の感情に触れること」だと思っています。そのためにはデザインに境界をつくるべきではないと思います。大倉氏の境界の無いデザイン、すなわち「限界のないデザイン」にこのことを強く感じました。
坂部真理(多摩美術大学環境デザイン学科4年)