JIAデザイン部会、松原氏の講演・対談、盛り上がった!

松原弘典氏にみる積極的受身
デザイン部会、講演・対談シリーズ「プロセスの意味とヴァナキュラー性、その1」
【日本の外で建築をつくるということ―中国とコンゴでの実践】
連健夫(デザイン部会長)

デザイン部会では、2011年UIA東京大会において、「グローカル建築を考える(ヴァナキュラーの変換としての現代建築)」をテーマに国際シンポジウムを企画しており、それに向かって今年度から【プロセスの意味とヴァナキュラー性】を視点に、建築家や専門家を招いて講演会、対談をする予定。今回、その第1回目に相応しい建築家・松原弘典氏(慶応大学SFC准教授)を迎え、5月11日、JIA館建築家クラブにて行った。国際的に活動されている建築家らしく、タイトルは【日本の外で建築をつくるということ‐中国とコンゴでの実践】、40名近くの参加者の中、深みのあるディスカッションとなった。
■プロセス重視は手品か料理か?
 氏は最初に「設計プロセスを重視することの背景にある欲望について、プロセスを“手品の種(内容を秘密のままにする)”として考えるか、あるいは“料理のレシピ(内容を公開する)”として考えるか、を区別したいという欲望ではないか」という仮説をたてた。更に、「設計プロセスを重視するとは具体的には受身で建築を考えることではないか」とし、その受身の意味として「自己の決定に外部の要因を参加させること」という仮説を説明した。氏はこの企画を受ける時に、当方とメールでの意思疎通をしているが、その時、自分の建築をプロセスやヴァナキュラー性の視点で捉えたことがなかったので良い機会になると話されていた。そして、当日、仮説という形で、これに応え、3つの事例を通してその考え方を説明された。
■時間・気候・現地人・材料のプロセスへの参加
第一の事例とは、北京のY house、これは既存住宅の改修プロジェクトで、その外に新たな建築を覆うかのように設けたものだ。自然通風を利用し、季節によって生活する場所を変えるというコンセプトで、「時間要因、気候要因の設計プロセスへの参加」と位置づけた。デザインとして興味深いのは既存の建物の屋根が、内部階段に変換されている点で、丸ごと覆うことによりアクシデンタルに面白い空間ができていることである。第二の事例はコンゴキンシャサのアカデックス小学校のプロジェクト。校舎を設計するに当たって、大きく壁と屋根の2つに分け、壁は現地の人により現地の材料で造ってもらい、屋根については日本でフレームを設計検討し、現地では、日本人と現地人が一緒に造るという方法をとった。これを氏は「現地人・現地建材の施工プロセスへの参加」と位置づけた。そして、これを3つの「ない」建築として捉え、最終形のない建築(変化し成長する建築)、おしつけない建築(いっしょにつくる建築)、精度のない建築(おおらかな建築)と説明された。このプロジェクトで興味深いのは、校舎建設の計画が今後何棟かあり、屋根のデザインも発展、変化することが予想され、今後、建物自身がプロセスを表現していくことになる点である。第三の事例として、氏があげたのは、「時間要因の設計プロセス・使用プロセスへの参加」という位置づけで、新宿区に氏が購入した4階建てのビルで、それを今後、耐震補強を含めてリフォームするプロジェクトである。興味深いのは屋上に木を植え、その器を耐震補強にするという試みであった。氏自身が使うというアクションリサーチ的視点があるのが興味深い。
■全体を考えつつ行動としてはローカル
 さて、今回、講演の内容を深く読み解く中でディスカッションに繋げるべく、コメンテーターとして、東海大学准教授の渡邉研司氏を招いた。氏は近代建築が専門で、海外と日本双方で学術と実務の経験を持つ国際派である。氏は、松原氏のことを日本で納まらなく外国に出て活動することになり、その中で自分を相対化、客体化できるようになった建築家と分析した。更に、モスクワでの松原氏の研究に対し敬意をはらい、そこでしっかりとしたモダンを学んだのがベースになっているとし、渡邉氏が興味を持つパトリック・ゲデスの考え方、すなわち「全体を考えつつ、行動としてはローカルである」を紹介し、現在の松原氏の建築活動と重ねた。
■積極的受身とオルタナティブな建築活動
 その後のディスカッションは日本と外国の違い、ヴァナキュラーの意味合い、糧としての設計活動などの話題について、盛り上がった。その中で、特筆すべき点がある。1つは、「積極的受身の態度」である。氏は単に受身と説明されたが、私から見ると彼の姿勢は常に積極的である。中国に渡った話も、コンゴのプロジェクトの話もオファーがあれば積極的に手を上げ、モノにしている。海外においては、文化の違いを含め様々な困難がある。それを柔軟に受け取り、ネガティブをポジティブに変換している。これが、私から見ると、国際的視点における時代の読み取りの中で正に必要な建築家の態度に思えてくる。2つめは、フィービジネスではないオルタナティブな建築活動の重要性である。松原氏は北京で、もちろん商業的建築活動もしているが、そうではない活動を社会改革的視点で実施している。これは、私から見ると、間接的に彼の能力を深め、ブランドメイキングにも繋がり、建築家の価値を高めているように感じる。氏は、「手品」でも「料理」でもない設計プロセスを考えられないか、受身的姿勢をトレードに使いたいとコメントした。そこに、中国やコンゴの異国で、鍛え上げられた戦略的タフさを感じる。但し、この「積極的受身の態度」には、必要条件がある。それは、様々な状況を柔軟に受け止めることができる確かな知識とスキルの引き出しの数が多いことであろう。
■ヴァナキュラーの捉え方で現代化が可能となる
ヴァナキュラーは、土着性や地域性のみならず、方言や意識、地勢など多様な意味と捉え方がある。それであるが故に、建築家によって様々な解釈が可能で、現代建築への創造的変換がありうる。少なくとも、どこに行っても同じスタイル(様式)がなりたつという時代はとうに過ぎており、それには応えていることになる。プロセスを大切にする姿勢とヴァナキュラーへの配慮が、画一化の問題解決、持続可能な建築や都市に繋がっていることは確かであろう。地球化というグローバル、地域というローカルを繋げた造語「グローカル」、その建築を考えようというUIAでのシンポに向かい、新たな視点を得た気がした。氏は「まだ自分の考え方は固まってはいない、様々なところにアンカーはしているが、居所は決まっていない」とコメントされた。今後も氏の現在進行形の建築は見のがせない。(JIAマガジン原稿)