朝日新聞に災害復興の提案論文、応募しました。

朝日新聞主催「「ニッポン前へ委員会宛、震災後の日本提言論文応募 2011年5月9日

テーマ①東日本復興計画試案

【住民参加の復興まちづくり、3+2の提案】
                                         連健夫・建築家(むらじたけお)
今回の災害の特徴は、なんといっても地震津波原発の未曾有の大災害であり、広範囲であることです。リアス式海岸や平坦な地域など、様々な地勢を含んでおり、その被害も、場所によってまったく異なる状況です。元々、気候、交通、産業、人、コミュニティー、すべてが地域によって異なり、その復興計画は、「多様であるべき」と考えます。
当方は建築家で、3月末に香港マカオで建築ワークショップを実施したのですが、東北大の学生も参加しており、帰国後、校舎が被害を受け授業がままならないことから、自宅ホームステイで事務所にインターンシップ的に受け入れていたことや釜石市出身の所員がいることもあり、復興については、メディアを通した情報や様々なシンポジウムに参加して情報を得る中で、色々考えをめぐらしていました。学生の授業のめどがたったこともあり、釜石に支援品を届けることも併せ、連休に、彼らと被災地、仙台市、荒浜、七ケ浜、気仙沼、大船渡、釜石を廻りました。実際に見ると聞くとでは、やはり大きな隔たりを感じました。被災地のひどい状況を見て声が出ませんでした。釜石のNPOの方々に話を聞いたり、被災者や行政の方々を交えたミーティングに参加し、話を聞く中で、外の意識とのギャップを感じると共に、おぼろげに思っていた復興案は、根本から再考させられました。そこで私の考える復興計画案ですが、ポイントは3+2あります。
① 地域の固有性を尊重し、復興計画は多様であるべき
② 住民が主体であり、それを行政と専門家が支える計画とすべき
③ 単なる復旧ではなく将来ビジョンを見据えた創造的復興計画であること
これにプラス2、
※ コミュニティーを重視した多様な仮設住宅の建設
※ 大災害の記憶を後世に残すべく、負の遺産を保存する
が復興計画に必要な視点と考えます。

■①地域の固有性を尊重し、復興計画は多様であるべき
被災地を廻って、まず感じたのは、被害の程度や性格は場所によって千差万別ということでした。村そのものが跡形も無く流されているところ、建物が広い範囲で全壊しているところ、市街地のみが全壊しているところ、補修すれば住むことができる住居を含み既に補修工事が始まっている地域など、場所によって様々でした。「住宅地は高台に移し農地は低地に設ける」という案がありますが、一概にそれを当てはめるのは、このような多様性を鑑みると、やや荒っぽいように感じます。また「瓦礫を海岸沿いに積み防潮堤にして、上部に公園を造る」という案もありますが、海と街とを分断してしまうことになり、漁港と街との関係が強い地域には不向きで、これも一概に当てはめることには無理があります。様々な案があることは、住民に選択肢を与えることにもなり、良いという見方はありますが、それを一方的に押し付けることは避けるべきと考えます。このことから個々の状況に応じ、復興計画は多様であるべきと考えます。これは、時間のデザインについても多様であるべき、と考えます。ある所は、水、電気などのインフラが普及すると共に支援品も十分にある一方、未だにインフラが復旧せず、支援品が届いていない地域があるなど様々な状況です。被災者の意識も様々で、生活するのに精いっぱいで復興に対してとても意識が向かないという状況がある一方、復興に目が向き始め、地元主体で始動した状況があるなど多様です。被災者が復興まちづくりに関わるためには、ある程度の時間を持たせる地域、あるいは地元主体で復興に動き始めた所には速やかに行政や専門家が、それをサポートするなど、地域に応じた多様な時間のデザインが必要と考えます。

■②住民が主体であり、それを行政と専門家が支える計画とする。
地域の状況を一番把握しているのは住民です。どのような支援を必要としているのか、どのような復旧、復興を求めているのかが分かるのも住民です。その街に住み、街を使うのも住民ですから、復興街づくりはあくまで住民が主体であり、それを行政と専門家が支える計画とすべきと考えます。国や県からのトップダウンの復興計画では、どうしても与えられたものとなり、親密感を持って受け入れるのは難しくなります。復興計画には利害関係が必ず生じ、その問題点がクローズアップされ住民から拒絶されることもあるでしょう。一方、それが、住民が主体的に関わって生まれた復興計画であれば、困難を体感した上での計画ですから、身近なものになると共に利害関係の調整なども個々の納得の上で解決することが可能になります。もちろん住民は都市計画や建築に対しては専門家ではありませんので、ここには都市計画家や建築家という専門家が関わるべきと考えます。専門家は先進事例を含め、様々な情報を持ち、時代のニーズを捉えたアイデアを持っています。住民だけでは将来を見通したマクロな視点は弱く、この点の知識とデザイン力を持っている専門家を必要とします。しかしながら、住民の意向を無視したトップダウンの計画であってはなりません。あくまで専門家は、住民の声を形にする専門家として復興計画に関わるべきと考えます。ここで大切なのはファシリテーターという役割です。ファシリテーターは、住民の様々な意見やつぶやきから、今後のまちづくりに必要な言葉や意味を見出し、テーマーを設定したり、コンセプトとしてまとめる役目を担う専門の職能です。当方は英国に5年間住んだ経験があるのですが、まちづくりにファシリテーターや建築家が関わるのは一般的で、欧米の先進国では、自らの街は自らが創るという住民参画のまちづくりは当然のこととして捉えられています。日本ではまだまだ発展途上の段階と言えますが、1992年の新都市計画法において、市民参加が奨励されて以降、街づくりワークショップをファシリテーターが運営し、まとめている事例が増えている状況です。復興計画においても住民参加に専門家がうまく関わることが、大切と考えます。 

■ ③単なる復旧ではなく将来ビジョンを見据えた創造的復興計画であること
仙台市を含め、今回被災に合った地域は、街としての勢いについて元々困難をかかえていました。釜石市新日鉄が鉄鋼業から撤退したことにより下降線をたどらざる得ない状況に陥っています。他の多くの街も三陸独特の交通の便の悪い地域で、漁業以外にこれといって特徴が無く、将来の街づくりに困難を抱えている状況でした。従って、元のように復旧しても、以前と同様、街の勢いは弱いわけですから、復旧のみに目を奪われることなく、この大震災を新たな街の創造の機会と捉えて復興の街づくりをする視点を忘れてはなりません。このためには、都市計画家や建築家といった専門家が、うまく関わる必要があります。住民主体で街づくりをすることが大切であることは前述しましたが、専門家のアイデアとうまくブレンドする方法が必要です。例えば、専門家が複数の案を示し、その特徴を議論した後、住民が選択するという方法もあります。あるいは、専門家がファシリテーターと一緒に住民参加のワークショップを実施し、住民の意見から方向付けをすると共に、その体験をヒントに魅力ある提案を出すという方法もあります。これらは住民が主体であることは言うまでもありません。ポイントは住民だけでは、時代にニーズにあった先進的なアイデアを出すのは難しい、ということです。方法として、住民参加のまちづくりの枠組みを行政が作り、そこで住民と専門家がコラボレーションをするという形が理想的と考えます。現状では行政は仮設住宅建設など、とても手が廻らない状況なので、まちづくりNPOが企画し、行政と専門家を招いて、住民参加で行う方法もあるかと思います。都市計画家や建築家という専門家については、既に地元に実績があり、地元のことをよく知っている方が関わる方法と、公募をして全国から意欲のある専門家を選出する方法もあるかと思います。当方が廻った街では、大船渡市民文化会館・リアスホールは建築家、新居千秋氏の設計ですが、避難所としてその有機的な形が個々のプライバシーを上手く確保しているのが印象的でした。これは住民参加で生まれた公共施設ですが、このように地元をよく知っている建築家は、上手く街づくりに関与できるのではないかと思います。街の将来像としてのビジョンを描くことはとても大切です。街の問題点を解決し、また街の良さを活かすデザインが求められます。ここには徹底的に街のアイデンティティーを問う姿勢が必要です。近代化の中で日本の多くの都市が何の特徴も無い街になってしまった過ちを決して繰り返してならないと思います。この街に住みたい、この街を訪問したい、という魅力ある街にすることが大切と考えます。また時代のニーズに応えたデザインとして、省エネや自然エネルギーを全面的に打ち出した街、バリアフリーを徹底的に追求した街、日本の最先端の技術をもって、世界にも類を見ない特徴ある街を創ることは、海外からも注目されることになるかと思います。これにより観光産業も育つことも期待できるかと思います。

■※コミュニティーを重要視した多様な仮設住宅の建設
復興の街づくりをする上で、避難住民のための仮設住宅建設が急務ですが、従来のような定型的仮設住宅は、大家族にとっては狭く、家族が分かれて住むことになり、結果として家族の絆が壊れることになりかねません。またプライバシーが確保されているとはいうものの共同生活で育まれたコミュティーの絆が仮設住宅に住むことで失われることにもなりかねません。そこで、個室を確保した上で、リビングや台所は他の家族と共有するといった屋台村的な発想を持つ仮設住宅も考えられます。これであれば小さなサイズの複数の仮設住宅と、共用機能を担う大きな仮設住宅があればニーズを充足することになります。このようにバリエーションを持たせることで、避難生活で育まれたコミュニティーの絆を失わないようにすることができると考えます。大家族用の大きな仮設住宅や標準的大きさの仮設住宅も、扉をガラス張りにして、中が少しうかがえるようにすることや、開き戸ではなく引き戸を用いて、開けたままにすることができるようにして、外と中の繋がりを維持する工夫も必要と思います。在来木造の仮設住宅も推進すべきと思います。これであれば地元の大工が作ることができます。現在、仮設住宅は使用期間を2年に限定していますが、建てる場所によっては、期間を5年位に延ばして、店舗や公共施設も含め仮設市街地を形成する方法もあります。現在使われていない公共施設や民間の建物の利用も考えられます。これらを仮設住宅に改修して使うことは、地域の隠れた財産を活かすことにもなります。これらのことを含め、地域の実情に応じた多様な仮設住宅の建設が求められ、既存の基準仮設住宅の基準のみならず、都市計画法建築基準法の柔軟な運用が必要になるかと思います。

■※大災害の記憶を後世に残すべく、負の遺産を保存する。
この未曾有の大災害は、被災地のみならず日本全国に大きなトラウマを与えたことは言うまでもありません。これは復旧、復興のプロセスを共有し、長い時間をかけて癒されるものであると思われます。大災害において大切な人を失った方、家や職を失った方、大変な状況にある方がたくさんいます。災害の意味を説明することは誰にもできないし、それは個々の心が見出すしかないと思われます。この大災害の事実を日本のみならず多くの方に知っていただくことと共に、後世に伝えることはとても大切かと思います。ベルリンでは戦争や東西分離の愚かで悲しい記憶を残すべく、ベルリンの壁や公共施設の銃弾跡などを負の遺産として保存している状況や、日本では広島の原爆ドーム原子爆弾の恐ろしさを現在に伝えると共に世界に発信し、後世に伝えていくと思われます。この意味で、東北大災害の恐ろしい爪跡を負の遺産として残すことは是非考慮すべきと思います。当方が短い期間で廻った中でも、気仙沼市の焦げた跡が残る船や、陸前高田市の鉄骨が無残にも曲がり、建物の原型をまったく留めていない市役所、釜石市の湾から道に乗り上げた船、どれもが自然の驚異、災害の恐ろしさ、をまざまざと表していました。何を負の遺産にするかは、是非、地元の方々と一緒に専門家や行政も関わって話し合うべきと考えます。もちろん現在は、被災地の方々にとってはあまりにも生々しい記憶であり、とても考えられる状況で無いことは言うまでもありません。これはすぐにという訳にはいきませんが、少なくとも負の遺産として可能性があるものは、復旧、復興の中で、取り壊されることが無いようにすべきと思います。取り壊されたら二度と元にはもどりません。負の遺産の候補リストは早急に作り、まずは手を付けないという形は必要と考えます。
実際に震災地を訪問して様々なことを考えさせられました。テレビや新聞、インターネットなどで情報を集めることは可能ですが、まずは被災地を訪問し、真摯に地元の人の話を聞くことが何より大切と思います。机上で復興を計画することは決してしてはならないと思います。このことが、我々が近代化の中で、どこに行っても同じような街を造ってきた過ちを、再び犯さないことに繋がるのではないか、と思います。地元の人の想いが結実した個性的な街が生まれるような復興計画にすべき、と心から願っています。